中学、高校編:
部活としての柔道
さて、いよいよここから、私の柔道人生が本格的にはじまることになります。
なお、これ以降は小学生編のように物語形式で語るのではなく、カテゴリ別に様々なエピソードや内容を語っていこうと思います。
なにぶん書きたい内容や量がとても多く、到底一つの流れとしてまとめられないため、カテゴリの流れはばらばらになってしまいますが、各々個別なエピソードとして見てやってださい。
中学と高校はいっしょ
まずはじめに、『中学、高校編』の名の通り、中学と高校での柔道の話はひとまとめにして扱っています。
なぜ中学と高校をひとくくりにするかというと、私の通っていた学校は中学と高校が一緒になってたからです。 いわゆるエスカレーター式というやつですね。
一応、中学と高校は『中等部』『高等部』と表面的には別々の存在となっていて、高校に入学するには中等部学生も一応入学試験を受けなければならないという形式にはなっていましたが、しかしあくまで形式的なもので落ちる人なんてまずおらず、希望した人間は全員がそのままその高校に進級するという形だったため、実質的には中学と高校はつながっている、と言ってもいいものでした。
その上学校自体は小さく貧乏な学校という事から、校舎こそ隣り合う別々の建物になっているものの、それ以外の施設はほぼ全て共用。
グラウンドもひとつしかないから当然共用、そして運動会などのイベントも中学高校合同で行われるというシステムだったため、中等部も高等部も、学校での生活は授業を受ける時の校舎が違う建物だったという以外は、ほとんど同じようなものでした。
というわけですから、ここで語る内容は、おおよそ中学と高校両方での話だと思っていてください。
もっとも、中には中学時代ならではの話や、高校時代ならではの話もありますが。
なお、わかりやすくするために、以降は私の学校の事を『K学校』『K中学』『K高校』と呼ぶ事にします。
K中学の柔道部に入部
K中学に入った私は、部活に入ることにしました。
入学してある程度日々も過ぎると、部活に入部する同級生たちもちらほらみられるようになり、そして私もK中柔道部に入るため、部室のドアをくぐりました。
小学校時代の経験によりある程度柔道に対する免疫は出来てたものの、しかしながら、初めてこのK中学の柔道部を目にしてみると、道場内や部員の雰囲気などが、明らかに小学校の頃に通ってた道場のお気楽で遊び感覚的なまったりした空気とは完全に異質で別物でした。
どうにも雰囲気が異なる、なーんかかなりバイオレンスっぽい感じがして、入るのがちょっと怖く感じたものです。
校舎の隅に位置しているどことなく寂れた感じの部室(道場)にて、それまでの町道場では見たことないくらい、部員達はみな真剣なまなざしで汗びっしょりになって必死に練習している。 なお練習内容の詳細などについては後々語ります。
小学校時代では見られなかった光景。
気の小さい私は、最初はなんか怖いなーという感じがし、入るのやめようかなと一瞬考えたりもしたものです。
元々、K学校では部活に必ず入らなければならないという決まりは特になかったし、私の軟弱だった性格からすれば別に無理して入らずに帰宅部(無所属)としていることも出来たんですよね。
しかしながら、このK中学K高校は部活動がけっこう盛んで、学生の大多数は何かしら部活動(大半は運動部)に入っていました。 同時に、学生は部活をして当たり前、部活をしなければならないという雰囲気も全体的にありました。 また私自身、そういった部活重視の雰囲気の中において大勢の流れに逆らって帰宅部を貫き通せるほど意志が強い方でもありませんでした。 ただでさえ気が小さいのにそんな目立つ事なんてできようはずもない。
それに、すでに小学校時代から全員部活(といっても男子のはサッカー部だけだったけど)に入るのが完全に暗黙の了解となっていた雰囲気の下で生活していた影響もあってか、私の頭の中では完全に、『中学でも学生は必ずどこか部活に入っておかなければならない』となんとなしに思い込んでたんですよね。
そんなわけで、柔道部に入ることにしてしまった、と。
別に柔道部ではなくサッカー部やバスケ部に入ってもよかったんですが、しかし私自身は他の部活で立ち回れるほど器用じゃないというのはよ〜く理解していたし、また小学校試合の実績によりサッカーも下手だというのは重々承知していたので、他の部活に入ったところで無駄だろうと思っていました。
それに私自身も性格上、全然知らない学校(私は、地元の学生ばかりで構成されていたそのK学校では相当珍しい、地方出身者だった)で新しい未知の部に入ろうとするほど冒険心、好奇心、チャレンジ精神旺盛なタイプでもなかったですし。
といってもすでに前述したように、雰囲気などが今までの柔道とはあまりに異なるため、なんだか怖そうだなと感じたのも事実。 ただ、柔道自体を知っていたことは確かなので、知らないものをいちからやるよりも知っている方を続けるのがいいや、まあなんとか大丈夫だろうと多少は安心感もあったのかもしれません。
見学などもせず、部室に行ったらすぐに入部を決めてしまいました。
今にして思えば、どうにも気が弱く小さかった当時の私にしては、いくら勝手知ったる柔道とはいえ、まだまだ全然知らない学校の柔道部、それもなんか怖そうなバイオレンスっぽい雰囲気の部に速攻で入ろうとするなんて、けっこう大胆な英断を下したものだなーと思います。
そしていよいよK中学の柔道部に入部。
この年は、私を含め最終的に8人の一年生が入部しました。
しかし8人のうち柔道経験者だったのは私ともうひとりだけで、後の6人は初心者。
そのため、経験者である私と私ともうひとりのみ、入部したらすぐに他の部員に混じって稽古に参加させられることになりました。 他の6人はしばらく受け身の練習。
部活動が盛んなK学校ということで、柔道部の練習もビギナー経験者問わず厳しく、みな一生懸命練習していました。
今までとは全然勝手の違う、激しく辛くバイオレンスで力強く闘争心あふれる柔道部の稽古内容に、最初は全然ついていけず、けっこう辛い思いをしたものです。
週二回だけ、それも遊びほうけながら適当に打ち込みや乱取りしてほとんど汗もかかないうちに終わってた小学校時代の柔道とは違い、この中学での柔道部では、みっちり約二時間、手抜き無しの稽古。 それも毎日。
打ち込みは全力で何百回もするし、寝技はみな力一杯必死にやるし、乱取りも殺気ありありで全力で投げを狙い、力を込めて豪快に投げまくる。
そして終わったら今度は腕立てやら腹筋やらなどを、今までやったことないくらいたくさんこなす。
道場が使えない走りの日(これについては後述)には、小学校サッカー部時代の数倍もの距離を走り、その後も山を走ったり坂を走ったりときついメニュー、そして道場の日よりさらにきつい腕立てや腹筋などもしたりと、これまたみっちり二時間。
おまけに練習が休みの日はなく、特別な日でもない限りは基本的に月曜日から土曜日まで毎日稽古。
もちろん日曜日も稽古。
あまりに厳しいメニューなため、最初の頃は、私にはしんどすぎるので止めたいと思ったこともありました。
が、やめたらやめたでまた辛い思い(例えば同級生の同部員からイヤな目で見られるかもしれないなどの思い込み)をしそうだなと思ったので、簡単にやめることも出来ませんでした。 つまりしんどいながらも、ひたすら耐えるしかなかったという。
しかしそれでも、ナンダカンダいいつつ稽古にはひーひー言いながらもついていきました。
昔のデブ時代だったらこんな稽古についていくどころかこなせるかどうかすら怪しいところです。
しかしながら、一応、小学校時代にさせられたキーパー特訓などのおかげで、中学に入る頃の私は昔のデブの面影など微塵もないほど痩せていたし、また一応のサッカー部の部活で体力もそれなりにはありました。
もちろん所詮は小学校レベルの体つきであり体力でしたが、それでもある程度の下地はあるということで、稽古にもなんとかついていく事が出来たんだと思います。
そして練習を続けていくうちに強い体力、精神力を養う事が出来ました。
ただ、小学校時代に培った私の柔道スキルは、前述したようにほんとうにどーしよーもないほどたいしたことなかったので、これはほとんど役には立ちませんでしたけどね…(笑)
ホント、それまで持ってた柔道のスキルなんてあってなかったようなものだったなー。
そもそも小学校時代の私の持ち技だった背負い投げや一本背負いなどは、私自身の体が大きいということで中学以降は全然やらなくなり、他の技を使うようになりましたし。
また中学時代というのは伸び盛りなので、私がちょっと柔道を知ってるからといっても、せいぜい最初の頃だけ、他の同級生たちよりも出来たという程度。 数ヶ月も過ぎればすぐに他の皆も同じくらいのレベルに追いついていたので、私が最初に所持していたちょっとした柔道スキルなんてのはあってないようなものでした(これについては『柔道のスキルの上達具合』の項で詳しく説明します)
ちなみに初期の頃に私がやってた背負い投げとか一本背負いとかなどは、所詮は遊び半分でやってた程度のものだったのか、どうにも形としてはあまり綺麗ではなく、後に同級生から変な一本背負いとか言われてよく笑われたりからかわれるネタにされてたものです。
そういえば、K中学の柔道部に入部して1〜2ヶ月の間は、まだ小学校時代に通っていた町道場も続けていたため、私は学校の柔道部の部活と町道場の通いを両立させていました。
といっても小学校の頃とは違って中学では部活は6時までする上に、学校の場所柄、家に帰るのに片道2時間近くかかるという立地条件だったため、小学校の頃のように部活が終わった後で続いて町道場に通えるような状況ではなく、町道場の日は練習を休むという形でしたが。
ただ、この状況もどうにも目立つのであまり好きじゃなかったんですよね。 もともと私だけが遠くから学校に来てるということからけっこう特別っぽい立場で、なんとなく疎外されてる感じがあり、それによりただでさえ目立つ存在だったもので。
よくある、目立つのを嫌う子供だったわけですね。
稽古の内容も中学での厳しく一生懸命な部活としてのものと、町道場でやってる軽い遊び半分なものとでは密度が雲泥の差で、そのうち両立させるのが面倒になったし、またいちいち部活を休んで他の同級生達から白い目で見られる(様な気がしてた、私的には)のもイヤだったので、町道場のほうは中学にあがってから程なく行くのをやめてしまいました。
町道場のほうが楽な練習だったので、こちらの方を積極的に通うようにすればしんどい部活に出る割合が減って楽できたのは確かですが、しかしまるでサボってるみたいな感じがして白い目で見られるような気がしたので、辛いけど普通に部活に毎日出たほうが目立たないしいいやと思ってたんですね。 楽さよりも目立たなさを優先させるとは、どこまでも気の小さいヤツだったわけです、当時の私は。
ま、町道場にいかなくなり部活のみに集中するようになった分、より厳しい鍛錬をつめるようになったのは確かで、柔道に対する一生懸命な姿勢を養うようになった、ともいえるので、結果的にはこれでオーライだったといえるんですが。
てなわけで、中学からは部活の柔道部一辺倒になった、と。
それまでやってたほとんどお遊びレクリエーション的気分な町道場の稽古とは違い、部活のは前述したようにかなり高密度な内容だったので、私自身、この中学柔道からかなり精神的にもまれ、成長するようになったんだと思います。
いやホント、自分でも思うんですが、中学の頃から私は気の弱い正直者から、いい意味でも悪い意味でも、かなり図太く細かい事を気にしない性格になってきたものだと当時でも痛感したものです。
もっとも、これは部活だけでなく中学生活全般による影響ももちろんあるんですが。
精神力が強くなった
私がK中学、K高校の柔道部で得た最大の財産といえば、なによりも『精神力が強くなった』事です。
と言っても性格的に凶暴になったとかやたら暴力的になったとかそういうのではなく、いわゆる精神的にタフになったということです。
今だからいえるんですが、小学校時代には気が弱かったのに加え、実は中学に入ったばかりの頃の私は、いわゆるいじめられっこだったんですよね。
中学一年の最初から数ヶ月間(半年くらい?)はそうだったかな。
といってもメディアとかで語られるいじめレポートのような、毎日校舎裏や便所でボコられたりとか机に花瓶を置かれたりといった見るに耐えないほど陰惨なもの、学校で問題になるほどのものではなく、仲間はずれにされたり何かにおいて集中攻撃されたり、言葉による攻撃をされたりするといった類のものだったんですが、それでももともと気が弱い私にとっては、けっこう辛い思いをしたものです。
原因はいろいろありますが、おおよそは地元の子ばかりのK学校において私だけが唯一遠くの地方から来ていたというのと、それにより私だけが他の連中とノリや雰囲気などが違っていた、というのが主な原因だったと思います。 つまりは、私だけがどうにもK学校の雰囲気に馴染めず浮いていたので、それが格好の攻撃の的にされがちだった、と。 例えるなら、閉鎖的な田舎の学校に転向してきた都会の子供が疎外されてる、みたいな感じでしょうか。
まあ、半年くらいたつとようやく他の同級生とも打ち解け、また親しい知り合いなども何人か出来てそういうことはあまりなくなったんですが、それでもその最初の半年間はかなりきつかったです。 味方も全然いませんでしたし。
一時は学校をやめたいとまで思った事もあったほどです。
ま、詳しく書くとやたらに長くなりそうだし話が柔道から脱線しそうなので、これについてはまたいずれ別のエッセイにて語る事にしましょう。
で、そんな気が弱くてなおかついじめられっこというダメダメな人生まっしぐらな感じだった私ですが、しかしそれでも何とか立ち直れ、そしてちょっとやそっと事では動じない(気にしないようになる)ほど精神的に強くなれました。
理由は学校の色に染まった、他の同級生となんとか打ち解けそして彼らの影響もあってったから、年齢を重ねるにつれ精神的に大人になったから、というのもあるでしょうが、それと同時に柔道部で鍛えられたから、というのも大きな原因だと思います。
はっきりいって、闘争心、タフさ、強い心、度胸なんかは、中学と高校の頃の柔道部生活によって培われたといっても過言ではないと思います。
私も男なので、幼い頃からそれなりに負けず嫌いな面ももってはいました。
が、いくら負けず嫌いといっても小学校時代は気の弱さのせいでケンカなんて好んでするタイプではなかったし、またそういう態度もろくに表に出せなかったものです。 いうなれば、内面でちょっと思う程度で、実際に行動に移せるほどの度胸も行動力もなかったという。
でも柔道部では、実際に練習や試合でいやでも相手と戦わなければなりません。 そして一定のルールがあるにせよ、相手をブッ倒すという面においてはケンカや闘争とあまり変わりはないともいえます。
またチームプレイを基本とし仲間の力に頼る事の出来るサッカーと違い、柔道は完全な個人競技。
相手を倒すのはまぎれもなく自分自身であり、勝つためには自分の力以外に頼れるものはない。
一対一の勝負なので、勝つのも負けるのも全て自分にかかっている。
全てにおいて自分が責任を負う。
そんな厳しい世界。
したがって、柔道部で柔道を続けていくには、嫌でも心が強くならざるをえませんでした。
途中でやめる度胸もなかった私は柔道部に入った以上がんばって続けていくしか道はなく、厳しい練習にもう嫌だと弱音や泣き言をいった所で、結局は耐えていくしか道はなかったわけです。
そして辛く厳しいながらも、そんな柔道部にて肉体的、精神的にも徹底的にもまれていくことにより、気の弱さは次第に克服されていき、また同時に負けず嫌いの気持ちもより強くもてるようになり、さらに負けん気の強さや闘争心も強く表に出すことができるようになれました。
毎日がタイマン勝負といえる乱取りなどの厳しい稽古を毎日積んでいくと、おのずと心が鍛えられてくるものですし、またある程度の強さを持つ事により、自分に自信もついてくるものです。 これだけの練習をこなしているんだ、これだけできるようになったんだ、という感じで。
小学校の頃はケンカになっても『こいつ意地でもブッ倒したる!』『さっさと投げられろやこのクソがぁ!』といった闘争心などはめったに持ったりしなかったものですが、柔道部で鍛えられてからは、勝ちたい、倒したいという気持ちを自分から強く持ち、発揮出来るようになりました。 そして試合などを経験する事により、度胸もつきました。
中でも、私はもともと体が大きかったという特徴があったので、力では負けないという面での自信を特に強く持てるようになりました。
とにもかくにも、格闘技であり武道という、肉体的、精神的に鍛錬を目的とした柔道を行なったというは、私の人格形成においてとてつもなく大きな意義を持っていたのは確かです。
親の言いつけでイヤイヤ始めた柔道ですが、しかし中学高校時代の経験は、今では代えがたい価値のあるものだったと思います。
もしも柔道をせずサッカー部やバスケ部に入ったり、もしくは帰宅部として中学高校の生活を過ごしていたとしたら、おそらく図体はでかいのに相変わらず気の弱い私がそこにはいたかもしれませんね。
ただしかし、いくら精神的に強くなれたとはいえ、やっぱり気の弱い部分は残ってはいましたけど。
というのも、柔道によって精神的にタフにはなったものの、どうにも相変わらず自ら争いを好む性格ではなかったんですよね。
昔同様に自分からケンカをだれかれかまわず吹っかけるほど暴力的にはなれなかったし、中学時代によく他の学校とケンカが起きてみんな行くぞという話があっても、私はあまり気乗りしなかったものです。 何でわざわざ意味もなくケンカしに行かねばならんのかと。
小学校変でも語った、無茶をしがちな兄に比べて私は守りっぽい生き方をしがちだというのも、この一種ですね。
しかしながら、それでも昔に比べると、学校生活的な雰囲気の影響もあいまって、引き締まった精神が養われたと思います。
すぐ殴ったりケンカしたりするような暴力的な性格ではなかったものの、いざという時には負けん気、負けず嫌いさ、度胸などは小学校時代の私とは比べ物にならないほど強く持
てるようになったものです。
言い換えると、気が優しいが力持ちな性格、もしくは理性の強い性格、だったといえるかもしれませんね。
相手を叩きのめすような無法的な争いは好まないけど、双方納得して行なうきちんと決められたルール内での競技では気合十分、闘争心全開に発揮していた、という感じでしょうか。
高校でも柔道部に入部
K中学で夏の大会が終わるまで柔道を続けてきた私ですが、K高校でも引き続き柔道部に入る事にしました。
おおよその理由は、中学最後の大会の時、ライバル的な存在だった相手校との試合で大将の私が引き分けてしまった結果により2対2の優勢負けという、非常に惜しい惜敗となってしまって悔しい思いをしたのが一番の原因です。 こんな悔しい気持ちのまま柔道やめてたまるか、もっと続けたい!と。
また同時に、そもそも柔道しかしてこなかったので他の部活をこなす自信が中学の頃以上に持てなかった、つまり高校でも柔道以外に出来そうになかったというのも原因の一つで、結局は高校でも柔道部に入ることにしたわけです。
ちなみに中学の頃は柔道部に入るのにけっこうな抵抗がありましたが、しかし高校での入部に関してはまったくそういうのはなかったですね。
というのも、すでに語ったように、K学校は中学、高校がくっついているエスカレーター式の学校であり、また校舎以外の施設は中高ともに完全に共用施設となっていたからです。
もちろん柔道部の道場も共用(これに関して詳しくは後述します)。
それにより、高校の柔道部からして合同練習ということでたびたび目の当たりにする事が出来たし、練習自体も体験していたし、それに高校の先輩達も一部を除いてはほぼ中学の頃の先輩そのままで、稽古内容こそより厳しくなっているものの道場の位置も走るコースも基本的に中学と変わりないおなじみのもの、そして顧問の先生も中学の頃と同じ人(中学と高校の顧問兼用だった)と、中学時代からほとんど変わりのない環境がすでに揃っていたということもあってか、高校で柔道部に入るのにまったく何の抵抗もありませんでした。
また、夏の大会が終わってしばらく柔道をやってなかった(中学の部活は引退してたし、高校の練習は一応規則としてまだ参加できなかった)ので、久々に柔道をやれるということでちょっとうれしかったと感じてたほどなので、高校でも柔道を続けるのに何の問題もありませんでした。
実際、私を含めて4人とも全員が、高校入学前の春休みの段階からさっそく高校の稽古に出てましたし。
今から考えると、それだけ精神的に強くなったということなんでしょうねえ。 なんとも成長したもんだ。 それと同時に、柔道を好きにもなっていたんでしょうな。 小学校時代の私ならば、絶対にこんなに積極的には出てなかっただろうなあ。
で、そんなわけですから、もちろん春休みから引き続き、高校生活が始まったらすぐにいつもどおり稽古に参加、これまで以上に厳しく過酷な高校の練習を開始する事になりました。
ちなみにこの頃にあったうれしい経験の一に、自分の成長が大いに感じれるようになったという部分があります。
というのも、高校の稽古に参加してもそれほど大した事がないと感じれるようになったんですよね。
道場を共用しているという事もあって、中学の頃は稀に高校の人達と合同練習があり、高校の先輩方達と打ち込みやら乱取りやらをする機会はたまにありました。
が、正直、レベルとしては高校の人達の実力ははるか上の存在、凄すぎる、手が出せる領域ではない、という感じがしたものです。
いや実際、中学の頃は高校の先輩方と乱取りしても何度も何度も軽くポンポン投げられてばかりでしたし。 中学と高校との間にあるレベルの壁、というのをここで痛感してたわけですね。
しかし高校に上がる春休みの頃から高校の練習に参加するようになると、これがなんだか不思議、あんまり高校のそれが凄そうには感じられなかったという。
一度それについて先輩にちょっと話してみたたことがあったんですが、その先輩曰く、「お前が成長したんだ」との事。
中学の柔道部を二年半続け、そしてその間に体も筋肉も成長しレベルアップしたため、高校の力強くレベルの高い柔道を見ても物怖じしないようになった、ということなんでしょうね。
このときほど、自分が成長したんだなというのをしみじみ感じさせてくれる瞬間はなかったものだと、今でも思います。
ま、もっともそう感じれたのは自分が成長したからだけではなく、元々同じ練習場所なので道場や内容自体に馴染みがあったのと、先輩方の大半がが中学時代の同部の先輩で知った顔だった、という原因もあるんだろうけど。
それでも、うれしい事に変わりはありませんでしたよ。
そんなこんなで、中学に引き続き、高校でも引退までの二年半、みっちり柔道漬けの毎日を送ることになりました。
いや、『なりました』というよりも、中学と違って、高校の頃は自ら大いに望んで柔道に打ち込んでいたので、『柔道漬けの毎日を送る事にした』といった方が正確かもしれませんな。
高校の頃の方がより一生懸命稽古してましたし。
実は他の部から勧誘にされました
私は小学校時代から体が大きく背も高かったので、列ではほぼ一番後ろから2、3番目くらいでした。
当然中学でもそれは変わらず、列の後ろから2、3番目が定位置。
それに加え、中学になってからは厳しい稽古や大食いによってより一層ゴツく大きくなりました。 ま、身長は元々大きかったので他の連中に比べるとそれほど伸びはしなかった(それでも6年間で15センチ近く伸びたけど)んですが、体はかなり筋肉質になったものです。
つまり、中学に入ってからの私は鍛えられた事もあってか、かなりごつかった、と。
そのせいか、高校に入る前には他の部からスカウトされた事もありました。
その部とは、ラグビー部。
ラグビーというのはもちろん言わずもがな、ゴツイ男達の定番スポーツの一つです。
私の高校のラグビー部は市内でもけっこう強豪らしく、大会でもそれなりの成績を残せるほどの実力派でした。
当然、部員は単に入部希望者を募るだけでなく、校舎が隣接しているという事を利用して、先輩方は後輩の中からスカウトしてくる事も多々ありました。
で、私も何度かラグビー部に勧誘されましたよ、ええ。
輝かしいとはいえないまでも、ある程度柔道部では成績を残していたし、また自分で言うのもなんですが、私は柔道部員の中でも体格的にトップクラスのパワーがあり瞬発力も兼ね添えた、非常にバランスの取れた体でしたし。 力は強かったし、体力はあったし、動きもわりと俊敏で、走りも柔道部員の中では上位の方でした。 体は固かったけどね…(笑)
ま、そんな私でしたので、何度かはラグビー部の先輩方に呼ばれて、ラグビー部に入らないか、入ってくれないかといわれたものです。
脅しとかそういう感じで勧誘された事はありませんが、しかしちょっとしつこいくらい誘われた事はありましたっけ。 帰りの電車の中でひたすら入らないかと説得され続けたり、高校の後者まで呼び出されて入らないかといわれたり。
しかしながら、何度スカウトにあっても、私自身は高校に入る前から柔道部を続けるのはほぼ決定してましたし、前述のように他の部活に入っても完全に柔道しかしない体になってしまった私はどうせついていけないだろうと思っていたので、『考えておきます』というだけで流していました。
んで、ご存知の通り、最終的には当初の予定通り、高校でも柔道部に入った、と。
ちなみに中学で私の年代に柔道部だった8人中、私を含め4人は引き続き柔道部に入り、3人がラグビー部に入りました。
ちなみに残りの一人はバスケ部に。 でもなんで柔道部からバスケ部にいったのか、いまだに疑問です?
私がいた時代の柔道部人数の紹介
K中学、K高校での私のいた柔道部は、そんなに大きな柔道部ではなかったです。
練習は一生懸命でそこそこの実力はあったものの、全国的なレベルで見るなら大して強いわけではなく、序章でも語ったように、本当に平凡で小さな柔道部でした。
部員数もおおよそ、中学では全生徒数は高校より少ないものの部活の種類が少ないので柔道部に入る人がそこそこ多く、平均して10人チョイ。
高校では全生徒数は中学より増えるものの、高校にしかないラグビー部に人が集まったり帰宅部の割合が増えたりするので、平均して7〜8人と、中学の頃よりも若干少ない。
このように、私のいた柔道部は、部員の人数も決して多くありませんでした。
ま、これは学校自体(道場も含めて)がそんなに大きくなかった、というのも原因ではあるんですが。 全校生徒数が中学高校合わせて1400人ほどだったし。
そんな柔道部での部員数の詳細は、年代別に見るならこんな感じになります。
私が中学一年の頃
一年の新入部員が私を含めて全部で8人、そして二年が2人、三年が4人。
全14人と、この年は柔道部にしては結構な大所帯でした。 私の代での入部者が多かったんですね。
といってもすぐに3年が引退して総数10人と平均的な人数になりましたが。 一つうえが二人と少なすぎたので、バランスが取れてしまったと。
ちなみに途中で新たに同級生が一人入ったものの、すぐにやめてしまった事もありました。
私が中学二年の頃
私が二年になると、一年に新入部員が4人(本当は5人いたけど一人がすぐ止めた)入ったので、一時は全14人とこれまた結構大所帯になりました。
三年が引退していなくなったら、12人になりましたが。
私が中学三年の頃
私が三年になると、いまいちよく覚えてないんですが、一年に進入部員が6人入ったんだったかな。 で一時は全18人と過去最大の大所帯。
おかげで私たち三年が引退する夏頃までは、道場が狭くて仕方なかったですよ。 打ち込みなんかしょっちゅう他の人とぶつかったり。
人数が多い分乱取りなどは多くサボれるようにはなってましたが、でも逆に言えば練習不足気味になりがちだったんですよねえ。 特に集中して乱取りなどをさせてもらえない一年とかは。 そんなわけもあってか、この頃の一年は上手い奴と下手な奴の落差がかなり激しかったような気がします。
そして夏が終わると、私たち三年が引退して出なくなったので、部員数は12人に。
私が高校一年の頃
私が高校一年の頃は、私を含めた同学年の新入部員が4人、そして2年の先輩が3人、3年が2人で、全9人でした。
ちなみに新部員4人は私を含めて全員中学から柔道部だった継続組。 ついでに三年の2人、二年の1人も、中学時代の柔道部の元先輩。
おかげで部員のほとんどが顔見知りで、部員の紹介とかぎこちなさとか全然なかったですよ、いやホント(笑) 二年の先輩二人も多少は知ってる人だったので、新入部員に対するなんの紹介も説明もなく、高校の練習初日から私たち4人は
まったく何の変化もなくいつもどおりに練習に出て、いつもどおりに先輩に挨拶しているという。 エスカレーター式の学校だったとはいえ、部活初日からこの馴染み様はすごい
といえるかも。
話を戻して、高校になると中学の頃より平均して部員数が少し減るのが定例で、私の代でもそれは変わりませんでした。
序盤9人で、
夏が終わって三年が引退すると、部員数はたった7人に。
これがK高校柔道部の平均的部員数なんですよね、少ないなあ。
ただ、中学の頃よりも人数が少なくなったものの、その分道場が広く使えるという利点があるため、個々の練習の密度はより高くなった、ともいえます。
しかしながら、練習の密度が高くなるものの選手層が薄くなるという欠点も併せ持っていましたけど…。
試合に臨む時に、毎年選手層の薄さにより力不足さを常に感じるのも、高校時代の特徴でした。
前向きに言うのなら、いわゆる少数精鋭になった、とも言えますかね。 そんないいもんじゃないか。
私が高校二年の頃
私が二年の頃は、一年が新たに4人(中学からの継続が3人、完全な新入が1人)入ったので、合計11人とそこそこ充実。 私の代と一つ下、二年連続で4人入ったというのがけっこう大きかったです。
三年がいた頃は11人もいて、おお、充実してるなーと感じたものです。
で、夏が終わって三年がいなくなると、8人に。
傍から見ると少ないですが、それでも前年の7人より1人多いので、この柔道部にとってはまだましといえました。
私が高校三年の頃
三年の頃は、1年が3人入りました。 うち二人は中学から継続、一人は新人。
そして合計11人とまたまたそこそこ充実。
そして私の代が引退して、残った人数は7人とまたいつもどおり。
と、こんな感じでしたね。
中学では平均10人ちょっと、そして高校では平均7〜8人。
ちょっとメンバー数が少なといえるものの、毎年試合に出れるほどには充実した人数は実現されていたので、廃部の危機になることもなく、試合にもちゃんと出れていました(ちなみに部員数の少なさから、団体戦のみならず個人戦もほぼ全員が出れるという利点がありました)
部員がゼロだった年もなく、過剰に入りすぎなだった年もない。
まさに大きな変化のない、平凡な柔道部といえます。
ただ、他の学校の柔道部に比べると、総合的な部員人数はかなり少ないかもしれませんね。 実際、私が今まで見た事のあるほかの中学、高校の柔道部は、どこもK学校のよりも人数多かったですし。
しかしながら、この少ない人数はある意味、私の学校の柔道部においては、理想だったともいえます。
なぜなら、この柔道部の道場は狭く、それに加えて中学高校で共用してたから。
詳しくは部室に関する話にて後述しますが、とにかく私の柔道部は道場が狭く、12人でも人が若干多いと思えてしまえるほど。
高校時代の平均7〜8人の人数がちょうど良いと思えるほどの狭さだったので、この部員数をキープし続けれてきた事は、この柔道部にとってもしかしたら理想的な状況だったといえるかもしれません。
柔道を好きになる
中学、高校、そして加えるなら小学校や大学時代を通して約10年間ほど柔道を続けてきた私ですが、一つの物事をこれだけ長く続けてこれたのは、やはり柔道が好きだったからといえます。
といっても、柔道に人生全てをささげるほど溺愛するほどではありませんでしたが…。
でも、練習は毎日一生懸命練習していたし、やってて『楽しい』と思っていたのは確かです。 さすがに今ではもうやらなくなりましたが、しかし最近でも無性に柔道がやりたくなったりする事
はあります。 これ書いてる最中もしょっちゅうやりたくなったりしますし(笑)
ただしかし、柔道そのもが好きになれたのは、けっこう時期的には遅かったですね。
小学校の頃はすでに説明したように親からの命令で無理やり通わさせられてたもので、また稽古そのものも手抜きしまくりだった、楽しいと感じる以前に面倒な気持ちの方が強く、
好きになれようはずもありませんでした。
内容自体は軽い子供の柔道という事もあってか、いやだ〜という拒絶反応が出るほど嫌いではなかったにせよ、わざわざ自分からやろうという気にはならない、あくまで親に強引にやらされてる面倒な習い事レベル。
では中学の頃はというと、小学校の頃に比べると練習などをする姿勢は相当まじめになったものの、しかしこれまた柔道がまだそんなに好きではなかったのが実際のところでした。
楽しいと感じる事はあるにはあるんですが、しかしやはり面倒という気持ちの方が若干強かったです。
というのも、まだ中学の頃においては、私はまだあんまり強くなかったからなんですよ。
中学まではまだまだ技術も未熟で、投げる事もいまいち上手くいかない状態。
当時は
引き分け要員とか呼ばれてたものでした。
ちなみに『引き分け要員』とその名の通りめったに相手が投げれないものの、力が強かったり耐えが強かったりするために相手に投げられる事もほとんどなく、結果として勝つ事も負ける事も出来ず、引き分けばかりになってしまう人のことです。
マンガとかだと戦略上では重要なメンバーの一種な扱いとして登場したりもしますが、実際にはただ耐えが強いだけの、勝てる試合も勝てない、あんまり誇れるような立場じゃなかったりします。
周囲から勝ちが期待されてない立場、といえばわかりやすいでしょうか。
実際私も『引き分け要員』と呼ばれるのはいい気分じゃなかったです。 特に私は体格や力が同級生の部員の中で2番目に大きかったので、その割りに引き分けしか狙えないという
のが、とにかく悔しく感じていたものです。
体が硬く力ばかりが強いため、耐えばかり強く、相手を確実に投げれるこれといった技はない。 もちろん、体の大きさを生かした強引な力技によってまだそれでも他の同級生の部員に比べると多少は強い方でしたが、いかんせん
細かい技術がダメなので試合ではまだまだ頼りにならないのは確かでした。 私の持ち技は大外刈りと払い越しでしたが、それらの技も『かからない大外』、『投げれない払い腰』とか言われたりしたものです。
で、そんな私だったので、試合ではずるずると引き分けになったり、攻め手に欠けるので内容で判定にもつれこんだりなどしょっちゅうでした。 そして結局、中学時代の試合は大半が引き分けや判定ばかりで、
普通に勝つ事があんまりなかったという。 その勝ちにしても、優勢勝ちや力を使った寝技での勝ちが多く、投げての一本勝ちはめったになし。
厳しい稽古にて精神的には強くなっていたので、やる気自体はそれなりにあったものの、技術的な才能がなかったのか、それとも不器用だったのか、いかんせん中学の頃の私
の柔道はどうにもイマイチで、練習できれいに相手を投げるなんて事もあまりなく、当然試合でもそれに伴い相手を投げる事もめったに出来ず、柔道でのブン投げる快感なんてほとんど味わえませんでした。
優勢勝ちや寝技での勝ちなんかはあんまり楽しくないんですよね。
当然その結果、柔道の楽しさ、醍醐味、おもしろさなどはまだまだそれほど強烈に感じることはできなかったものです。 多少は楽しいとは思っているものの、心底楽しいと思えるほどではなかった、と。
それでも中学の頃めげずにずっと柔道を続けてこれたのは、柔道が好きだからという感情よりも、負けず嫌いな面によるところが大きかったんだと思います。 すでにこの頃になると
精神的にも成長してたので、気の弱さはある程度克服できて、そしてそれをプラス方面に作用させる事が出来てたわけですね。
そんな、中学時代は力ばかり強いだけで技術的にはなかなか成長しなかった私ですが、しかし高校になるとそれなりに変化が生じることに。
高校になり、稽古内容もより厳しくなっていったためか、私も一部において技術的にかなり伸びるようになりました。
もともと体格に恵まれてて力が強かったというのもありますが、特にこれといって強力な部分のなかった中学の頃に比べ、高校になると優れた部分が生じるようになりました。 言ってしまえば技術的にけっこう伸びてきたわけです。
中学の頃はこれといった決め技がなかったけど、高校になってからは切れのよい小技を使えるようになり、また大技も成功率や威力がかなりアップ。
また中学の頃から続けてきたという蓄積もあってか、試合運びも経験を積んでそれなりに巧みになっていくようになりました。
そしてその結果、高校になってからは、柔道の楽しさというのがわかるようになり、柔道をするのが楽しく思えるようになったわけです。
投げる快感、実力伯仲した相手との一進一退の緊張感溢れる攻防、投げにくい相手や強い相手をいかに攻略するかという試行錯誤、強い相手に投げられても『次はまけるか』と
いう不屈の精神、相手の技を回避したり上手く返した時のしてやったり感、投げて一本とったときの最高の手ごたえなど、柔道の楽しさがそこにはありました。
中学の頃は相手をろくに投げる事が出来ず、乱取りなどの実践練習においても、とりあえずしょうがないから練習しなきゃというような気分で出てたので、それほど積極性の感じられない姿勢だったんですが、しかし高校になると乱取りが楽しくなり、自分からとにかく積極的に出るようになりました。 もっとも、これは私が高校の頃は責任感ある立場、副主将
だったというのもあったのかもしれませんが。
とにかく高校の頃になると柔道が相当好きになっていたので、積極的に柔道に取り込んでいたのは確かです。
体が引き締まった
私は子供の頃から背が高く、体格も大きめでした。
小学校時代頃は、一時期肥満体な体系になっていたものの、キーパートレーニングそして成長期の影響によって肥満状態は脱し、引き締まった体格になれたものです。
で、中学、高校になると、そんなある程度引き締まった体格だったのが、柔道をすることにより大幅に発達し、さらに引き締まることになり、同級生の中でもトップクラスにゴツイ体格、相当頑丈で頑健で逞しい体つきになれました。
確か高校三年の頃の身体測定では、身長177センチで、胸囲は約98〜100センチだったかな。
ウエストの測定は身体測定の項目にはなかったので正確な数値は知らないのですが、確かサイズ85センチのズボンをベルト有りではいていたので、おおよそ80センチちょいくらいだったと思います。
そして体重は73キロ前後。
中学の頃はこれより一回り小さいといった感じですか。
柔道をしているのでボディービルダーのような完全に均整の取れた体つきではありませんでしたが、しかし脂肪量は少なく、筋肉の量は多く、かなりいい体格だったのは確か。
腹よりも胸の方がはっきりと出ていたし、腹筋もボコボコだったし。
また、この頃は逆三角形な体を見事に体現できていました。
脇の下に肉がかなり付いてるので、直立時に腕を胴に密着させる事が難しく、普通に立ってる時は自然と若干わきをあけた姿勢になってしまう(いわゆる、ゴツイ奴が立ってるときに若干脇を広げているさま)のもこの頃の私の特徴でしたね。
いうなればかなりゴッツかったわけで、同じ身長の人と並んだ場合、私の方がひとまわりかふたまわりは大きく見える、ともよく言われてたものです。
ただ、腕がわずかに細目だったのが不満だったかな(もちろん普通の人よりは太いけど)。 おかげで若い頃のジャイアント馬場みたいな体格だなとかも言われてたっけ。
もちろん、私だけでなく、他の部員たちもみんな一生懸命稽古してたので、どいつもこいつも引き締まったいい体格をしていました。
ムキムキ軍団といえば柔道部、とも言われてましたっけ。
ただ、バランス的には、私がその中でも一番均整の取れた体格だったかな。 背も高い方だったし。
動きも決して鈍くなく、走りはサッカー部とかには負けるにせよ柔道部にしては割と速い方だったし、足腰も頑丈だったし、身もそれなりに軽い方でした。
この、かなり引き締まった体を作る事が出来たというのは、精神力が強くなったのと同じく、柔道をやってて一番の財産といえるかもしれませんね。
年取ってから鍛えるのよりも、少年時代に鍛えた肉体の方が衰えにくい、後まで残るとはよく言ったもので、実際、さすがに全盛期の頃とは比べられないものの、現在でも腕の筋肉とか胸の筋肉とかは中学、高校の頃の名残でいまだにけっこう残ってます
。
私のいた柔道部のレベル
私の柔道部は、そんなに強いところではありませんでした。
もともと学校自体それほど大きいところではなく、学生数も少ない方(中高合わせて1400人ほど)でした。
それに運動部の活動は盛んなれど、レベル的にはそれほど高いわけではなく、全体から見ればそこそこ程度の強さでした。
で、柔道部のレベルですが、所詮合計10人程度しかいないような部活なので、すでに冒頭で語ったと思いますが、レベル的にはそんなに高い方ではなかったです。
レベルとしては、中程度だったかな。
いや、そこまでいってないか、中より少し下かな。
大会で毎回一回戦負けをするような弱小柔道部ではありませんでしたが、しかしかといって県大会や全国大会で優勝できたりするような目立つ強豪でもなく、せいぜい地区や県大会の4回戦くらいまでは勝ち残れるほどのそこそこの強さはありました。
もちろん練習はそれなりに一生懸命してはいましたが、しかし全国レベルで見るとやはりまだまだなんでしょうね。
詳しくは後で語りますが、選手層が薄いのに加え、優れた指導者ってのも特にいませんでしたし、そもそも設備からして悲惨の一言でしたし。
マンガとかだと、少ない人数でもやたら強くなったりしますが、現実はそこまで甘くはないって事ですな。
ま、あんまり強くなかったとはいえど、練習そのものはかなり一生懸命にしてはいたんですよ、一応。 休みもなかったし。
私の柔道生活の中でもっとも充実してた時代
中学、高校通して行なってきたこの6年間の柔道生活が、私の10年にわたる柔道人生において、もっとも充実してたと思います。
練習密度、練習量、技術の向上、取り組む姿勢、試合数などなど。
練習内容とかちょっとしたエピソードなどは後で語るとして、とにかく私の柔道人生全てを通してみるのなら、全ての面においてこの6年間がもっとも有意義であり、一番価値のあった期間だったといえます。
そして同時に、この6年間の柔道は私自身の人間的成長にも多大な影響を与えたものだともいえます。
もちろん年齢的に考えてこの頃が一番に充実してた時期だったというのも関係もあるんでしょうが、とにかくこの6年間の柔道生活は私の肉体的、精神的に一番大きな影響のあったものであり、そして価値ある時間だったと思います。
加えて、柔道の魅力をもっとも味わった時期でもあり、内容も充実してた時期です。
今の私が柔道を語れるのもこの中学高校時代の柔道部生活があったからだといえるわけで、この6年間なくしてこの実録柔道部物語もありえません。 というかそもそもこの『実録柔道部物語』エッセイ内容の大多数が、この6年間の柔道生活に関する話だったりします。
まあかといっていいところだけではなく、中学高校は柔道部に入ったおかげで後悔してる部分もあるにはあるんですけどね。 詳しくは後述しますが。
とにもかくにも、柔道をやっててよかったと思っているのは確かです。
精神面でも肉体面でも大いに価値のあった、成長の糧となった、私の財産ともいえる6年間でした。
では、次からはそんな面白おかしく充実してた6年間の柔道生活について、細かいところを語っていこうと思います。
ふぅ、それにしても、この『中学、高校編:部活としての柔道』の項は中学、高校編での序文的な話なだけなのに、すでに1万6千字オーバーもかいてしまいました。
この後さらに大量の内容が揃っているので、全部完成させたらはたして何万文字くらいになるのやら。
なんとも先が思いやられます。