小学生編:柔道との出会い
ここでは、私がどのようにして柔道を知り始めるようになったきっかけと、小学校時代の柔道を語ってみたいと思います。
小学生時代に行った柔道は、期間にして1年か1年半ほどであり、また大して本格的にしていたわけではないので内容的な密度は低い期間でしたが、私の10年間の柔道人生はここから始まったのだというのを考えると、ある意味ものすごく大きな意義のあった時だったといえるかもしれません。
といっても、内容的には、どちらかといえば情けないヘタレな面の強い期間でしたが。
私が柔道を始めたきっかけ
私が柔道を始めたのは小学校4年か5年の終わりごろだったかな(そこら辺記憶あいまい)
といっても、小学校時代にやっていた柔道は、学校の部活ではなく町道場に通っての柔道でした。
それまでは学校のサッカー部でサッカーやってたんですよね。
しかしながら、不器用な私はサッカーに関してはどうにもヘタクソだったわけして、ブッちゃけていえば二軍(補欠)が定位置でした。
それに加え、小学生の頃の私はけっこう肥満体に近い体型で、まんまるな体型ではなかったにしろ、かなり太ってたんですよね。
よく親や兄、親戚などから『肥満、肥満』とからかわれていたものです。
そしてもともとの運動神経もそれほど優れていたわけでもなかったので、『運動会の思い出』のエッセイでも語ったように、障害物競走で壁を乗り越えられないような動きの鈍いデブだったときたもんだ。
そんな状況を見かねたのか、私の親父はある日突然、私に『おまえ柔道やれ』といってきました。
何でも、私の父は高校時代に柔道をやっていたらしく、肥満体型な私にも柔道をやらせ、もっと心身ともに健康な締まった体にしたかったんでしょう。
それに、太いサッカー選手はあまりいないが柔道選手の中には太い人がいっぱいいるのを見てもわかるように、私は体格的にサッカーよりもむしろ柔道のほうが向いているとも思ったんでしょう。
が、『柔道をやれ』という言葉は、私にとっては悪い意味で、とてつもなく衝撃的かつ恐ろしい宣告でした。
私は、それまで柔道なんて名前こそは聞いたことがあっても、実際にはほとんど見たことも無いし聞いた事も無いものでした。 柔道という名前くらいは聞いた事があっても、どんな内容のスポーツかなんて全然知りませんでした。
学校で柔道をやっているヤツもほとんどいませんでしたし、そもそも柔道なんて話題にも上がりませんでしたし。
一応、町道場の柔道をやってる同級生が一人だけいましたが、しかし運動といえばサッカー一色だった私の学校では、話のネタにすらなりませんでした(余談ですが野球に関しても、学校のグラウンドは狭いし道具も充実してなかったので、うちの学校では野球の話題もあんまり盛んじゃありませんでした)
そんなわけですから、そのときに柔道に関することで知ってたものといえば、せいぜいテレビで見た再放送アニメ『いなかっぺ大将』での大ちゃんが柔道をやってたシーンくらいですか。 でもあれも漫画ならではな誇張が大いになされていたので、現実の柔道とはかけ離れたものでしたね。
親父が柔道をやってたという話くらいは聞いた事があるものの、そもそも興味がないものだったのでどんなものか知ろうとすらしませんでしたし、親父が柔道をやってる写真なども見たことすらありませんでした。
まあつまり、当時小学5年生の私にとっては、柔道はまったく知らない世界、まるで未知のスポーツだったんですね。
ですから、突然親父からどんな内容かも知らない未知の領域といえる『柔道』をやれといわれたときは、ものすごい恐怖を感じたものです。
しかも後で親父の話を聞くと、柔道とは一対一で戦う格闘技との事。
もうとにかく心底怖くて怖くて仕方なかったです。
今だからいえるんですが、実は、小学校4〜5年生の頃の私は、ガタイがデカい(背が高くて太ってた)割にとても気が弱かったんですよ。 といってもまるでしゃべらないおとなしい子とだったというわけではなく、結構他の同級生たちとわいわい騒いだりはしていましたよ。 ただ、度胸や肝っ玉といったものがやたら小さかったんですね。
そんな気の小さい私、もちろん当時は割と泣き虫で、ちょっとしたケンカから同級生に泣かされたりする事もしばしばでした。
幼稚園の頃などは極め付けで、スイミングスクールに行かされるというだけで恐怖のあまり気が狂ったように泣きじゃくったというエピソードがあったくらいです。 私の兄曰く、連れて行くともうショック死でもするんじゃないかと思えるほど泣き叫び嫌がってたんだとか。 自分の事ながらなんだかスゲェ。
そんな昔から気の弱かった私にとっては、もちろん、殴り合いのバイオレンスなケンカなんてもってのほかでした。 ケンカするといえば、泣かされて半狂乱になったブチギレ状態でする程度のもの(いわゆる大泣きパワーというやつ。迫力はあるものの他の人にとっては大して怖いわけではなかったらしい)で、自分からケンカを仕掛けるなんて強気な行為は夢のまた夢というレベルでした。
自分でいうのもなんですが、今の自分からは考えられなかったですよ、あの頃の私は、ホント。 もっとも、今でもその気の弱さは多少残っているようで、昔からいろんなことにおいてムチャをしたがる兄貴に比べて、私はどうにも冒険はしたがらない、守りっぽい堅実な生き方をしているみたいです。
と、そんな弱虫な私だったので、格闘技である柔道をするなんて恐怖以外のなにものでもなかったです。
未知なるものに対する好奇心よりも、恐怖心の方が強かったわけですね。
あまりにイヤだったので、しまいには現実逃避して『どうせ最後には柔道やらなくてもすむ運命さ』とか脳内で勝手に思い込む始末。
そんな意味不明な抵抗も空しく、結局は月曜と木曜の週2回、夕方6時から7時半時まで、親の言いつけで町道場に強制的に通わされる事になりました。 気が弱いので内心半泣きになりながらも、父親の強引な命令には逆らえなかったんですよね。
そんな最初は怖くて仕方なかった町道場通いでしたが、しかしながら、実際に通ってみるとそこまで怖いものではなかったのが救いでした。
子供を対象にした町道場ということもあってか、先生はものすごくやさしくて親切だったし、また同じ練習生達もけっこう面白い人が多く、練習もぜんぜん厳しくもなく、柔道がイメージしてたほど怖い内容ではなかったので、受身の練習や技の練習をするうちにおのずと柔道に対する恐怖心は消えていきました。
柔道は格闘技の一種ですが、しかしその道場でのそれは小学生のやってるものということもあってか、大汗かいて一生懸命練習するって事は全然なく、殺気立つた投げ合いなんてのもまるで無く、乱取りなんてみんな半分遊びみたいな感じでやってたし、また練習メニューをこなさず周りのみながどたばた走り回ったりして先生から『こらー!』と怒られたりする光景なんてのもしょっちゅうでした。
そんなのんびりした風景だったので、最初は怖かったものの、私もまあ何とかやっていけるんじゃないかな、という気分で練習を続けていくことが出来たんですよね。
もっとも、だからといって柔道が好きになったかというと、そうではなかったというのが正直なところ。
あの頃は私自身、柔道の楽しさなんて毛ほども感じれなかったし、それまでスポーツといえばサッカーくらいしかやった事の無い私にとっては、そもそも柔道の何が楽しいのかなんて全然理解できませんでした。
マンガなどでも語られているように、柔道が楽しいと思えるのは相手を投げる快感が味わえるからなんですが、しかしそういうのはある程度練習をつんで相手をそれなりに投げれるようになってから味わえるようになるものです。
それ以前の柔道というのは、基本的に受け身などの基礎的な反復練習や打ち込みばかりで大して楽しいものではありません。 もっとも基礎ばかりで最初はつまらないというのは、どの運動でもいえることですが…。
大体にして上でも語ったように私は自身が興味を持って柔道をやり始めたわけではなく、イヤイヤながら親の言いつけで強制的にムリヤリさせられているようなものだったので、興味もないのに楽しいと感じれるわけがありませんでした。 練習そのものはまあそれなりにマジメにはやっていましたが、しかし練習を一生懸命やらずとも怒られたりすることはなかったため、私自身気分的に大して積極的ではなくどーでもいい気持ちでやってたものです。 気持ちが入らないから練習そのものはマジメであっても技術は大して上達せず、投げなんかもなかなか上手くなりませんでした。
なもんですから、どちらかというと、町道場の練習はしんどいとか厳しいとかそういう要素はなかったにせよ、あんまり行きたくないといった気分のほうが強かったものです。
自発的に道場に行くのではなく、親が行けと言うから面倒ながらもしぶしぶしかたなしに行き稽古する、ちょうどそんな感じ。
それに、学校のサッカー部も同時にやってたというのも、柔道がいやな原因のひとつでした。
柔道のある日はサッカー部の練習を休みたかったんですが、しかし練習時間は、サッカーの練習が終わるのが4時半、道場の練習が6時過ぎからで、柔道に行くのはサッカー部の練習が終わって家に帰ってからでも十分間に合う時間。
おまけにサッカー部では、特にこれといった理由が無い限りは必ず出なければならないという暗黙の了解的な雰囲気が部員同士の中にあったので、サッカー部の練習をサボのは先生側からすれば別にどうでもいいことなれど、同級生内ではご法度的なものでした。 今考えると、一生懸命練習しているのに理由も無くサボって楽するやつが許せなかったという、やっかみ的な考えがみなの中にあったのかもしれませんな。 まさにつまらんところで意固地で意地悪になる小学生ならでは。
そんなわけですから、柔道のある月曜日と木曜日も、私はキチンとサッカー部の練習をしてました、というかさせられてました まあ二軍だったんですけどね。
今にして思えば、ウソついて柔道は4時から練習なんだよとでも言っておいたり、もしくはかまわずそのまま家に帰ったりしておけばけばよかったんですが、しかし前述したように気が弱かった当時の私は、まだそういうウソを平気でついたり気にせずサボったりできるほど図太い神経はもってなかったんですよね。 で、バカ正直に練習は6時からだよと言ってしまったという。
またその上、当時の私はクラスで目立つのも嫌い(よくある、目立たないのを好む小学生ですな)だったため、したがってあまり柔道やってるというのを大々的に知られるのがいやでした。 そのため、柔道のためにサッカーの練習を休むことは出来ず、結局サッカー部にはヘタながらもちゃんと休みなく出てました。
いやホント、気が弱い小学生だったんですよ、あの時は。
前述したように、別に柔道の練習自体はそれほど厳しくはなかったので、両方の練習をしても疲労困憊するほどではなく、練習がしんどいから両方するのがいやだったというわけではなかったんですよ。
ただ、サッカーで遅く帰って更に柔道で時間をとられその日がほとんど終わってしまうというのがいやだったのと、面白くもない柔道をいちいちやらなければならないというめんどくささ、そして柔道という同級生達には馴染みの薄い物事をやってクラス内で目立つというのがいやだったんですね。 あの頃、私の小学校にはまともな部はサッカー部しかなく、またキャプテン翼の影響もあってか、同級生のほとんどがサッカー部で、みなサッカー一辺倒でしたし。
まあそんな半分イヤイヤな気分で続けていた柔道だったので、当然大してまじめに練習はしてませんでした。
気の弱い性格だったので練習に行った場合はそれなりにまじめにやってはいたんですが、しかしそもそも練習に行く事からしていやだったので、いろいろサボる逃げ口実を作ったりしてたものです。
例えば遅刻しても何も言われないのをいい事にわざと遅れて行ったり、親に仮病を使って『今日はおなかが痛いから行かない』といったり、わざと学校から遅く帰って『今日はもう遅いから行ってもムリだね』といって休もうとしたり、家を出ても練習に行かずにそのまま近くを散歩したりゲームしにいったりなどしてました。
こんな感じでどうでもいいような手抜き気分で道場通いしてたので、当然特にこれといって飛躍的に強くなれたわけでもなく、まあ普通にヘタレとして柔道をたしなむ程度な腕前しか身に付かなかったものです。
そうそう、私は上でもいったようにあの当時はけっこう太っていたため、そこの道場の子供達(ちょっと年下)からは『デブゴン』とかいわれてました。
しかしながら、ひどい事に、当時の私はそんな風に言われても何も言わず、むしろヘラヘラして流してたんですよね。
いやもうホント、あの頃は本当に気が弱く情けない子供だったんだなあ、とつくづく痛感してしまいます。
ちなみに、小学校時代に通ってたその道場は専用の場所にあるのではなく、ある小学校の体育館にて行われていました。 そのため、毎回開始前には畳を敷き、終わるときには畳を片付ける必要がありました。
これがけっこう面倒でしたね。
たまに湿気で汚くて臭い水の付いた畳なんかもあり、それを運ぶハメになったときなどはウェッとなったりしたものです。
なお中学、高校や大学の柔道部では専用の道場に畳が敷き詰められているという仕様だったため、開始前と終了後に畳を敷いたり戻したりするという行為はしませんでした。
初めての試合
そんなこんなで道場通いの日々は過ぎていき、何度か試合に出ることもありました。 あんまり覚えてないんですが、合計して2回か3回くらい出たことあったかな。
といっても町道場でやっている柔道道場なので、全国少年柔道大会とかそういう大仰な公式戦ではなく、県民大会とかそういう類の、市内で行われる自由参加の小さな大会です。 もちろん小学生の部。
ここでは、私はデビュー戦、つまり生まれて始めて柔道の試合というものを経験しました。
が、しかし恥ずかしいことに、私の初めての試合は『負け』でした。
まあそれだけならよくある事なんですが、情けないのは相手が『女の子』だったということ。
小学生の部だったためか、男女の別なく試合が行われていたんですね。
つまり私は同い年くらいの女の子に負けちまったと。
イヤーはずかしー!
小学校時代というのは男女の体力差というのはあまり関係ないもので、場合によっては女子のほうが男子より体力ある場合もあったりするものですが、しかしそれでもなんともみっともない!
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そもそもあの頃(道場に通い出して数ヶ月くらいだったかな)に私が出せれた技と言えばヘタクソな足払いとかからない背負い投げくらいだったので、練習で立ってる相手すらなかなか投げれなかったもんだから、試合で投げるなんて到底むりでした。
身体が比較的大きかったので投げられる事こそありませんでしたが、終始いろんな技で攻めてくる相手の女の子に対し、私はせいぜい足をぱちんとはたく程度の足払いしか出してなかったので、優勢だか判定だかで負けちまいました。
あの頃は柔道なんてやってて全然楽しくなかったものなので、試合に負けようが別段なんとも思ってなかったものですが、でも今考えると、デビュー戦という記念すべき初試合で負け、それも女の子に負けたというのは、まったくもって情けないというか、ヘボいというか、ヘタレというか、みっともないというかなんというか…。
体格は決して小さい方ではない…というかデカイ方だったのに。
あの頃はまだまだ気が弱い上に闘争心ってモノがまるでなかったんでしょうねえ、まったく精神的に貧弱貧弱ゥー!な男の子だったったらありゃしない。
ちなみにその日は同い年の従兄弟が興味を持って試合を見に来たこともあって、負けが家族に知られてしまうという悲惨な結果にも。
ま、そんな情けないデビュー戦を飾ったわけですが、しかしその後の試合でも負け続けていたわけではなく、一本勝ちしたこともありましたよ。
いつだったかは覚えてないんですが、たぶんその次の大会だったかな。
とにかく試合をして、投げて必至こいて寝技に入ろうとしていたところを『一本だよ』と審判に言われて止められたのだけはよく覚えています。 でもどういう技で投げたのかは一切覚えてません。 多分、背負い投げだったんでしょう。 あの頃はまだ背負い投げくらいしか知らなかったし。
そういえば、昇級試験もなんかもやりましたっけ。
その道場で行われた昇級試験で、試合そのものは負けてしまいました。 ちなみに相手は前田君という私より後に入った同い年の子だったわけですが、キャリア的には私のほうが先輩なのに負けとは、ここでもやっぱり情けないですねえ。
でも内容がよかったのかそれとも先生方のお情けなのか、試合には負けたもののオレンジ帯にはなれました。
それからすぐに中学になって学校の柔道部に入ったので、これ以降はもうほとんど道場に行く事はなくなりました。
デブだった私にある変化が…?
前述したように、柔道を始めたばかりの頃はデブだった私ですが、しかし6年生になる頃にはすっかり痩せて、引き締まった体になれました。
力こぶなんかも出るようになり、それがものすごくうれしかったなあ。
といっても前述のように柔道の練習は遊び半分でやってたものだったため、はっきり言って私は柔道を始めたから痩せたわけではありません。
この頃、ええと5年生の一学期か二学期くらいだったかな、学校のサッカー部では顧問の先生が私をキーパーにしようと画策していたようで、練習時間には他の部員とは別に、私だけ特別メニューをさせられていました。 デブながら体がでかかったので、先生は私はキーパーに向いてるかもしれないと思ったのでしょう。
他の連中がリフティングとかサイドキックパスといった基礎練習をしているのを横目に、私だけ中腰状態を維持しながら10〜15メートルの距離をひたすら左右に反復移動し続ける練習とか、ポリタンクを両足揃えてジャンプする練習とか、腕立て伏せとか、腹筋とかさせられてました。
しかしながら、その練習はそれまでのサッカー部の練習とは比較にならないくらいハードで、最初は全然こなせず半泣き状態でやってたものです。 他の同級生ならまだしも、私は太ってて動き鈍かったですからね。 たまにあまりに辛くて泣く事もあったり、先生が見てないところでちょっとサボる事もあったりしました。
ま、それでも顧問の先生の言いつけなので何ヶ月かはこの特別メニューをひたすら毎日させられてたわけですが、それが終わる頃になると、私の体は太ってた頃からは考えられないくらい痩せて締まった体になってました。
デブだった頃は腕立て伏せや腹筋なんて一回も出来なかったほどなのに、いつの間にか10回とか20回くらいなら余裕でできるようになってたという。
このトレーニングのおかげ、ともいえます。
もっとも、全てが全てそうではなく、多分、同時に体の成長期もある程度重なってたんでしょうね。 その当時ですでにかなり背丈が大きかった私ですが、それでも5〜6年の頃には一年で10センチ近く伸びましたし。 そんなわけで、肥満児だった頃の贅肉がほとんど身長の伸びに費やされ、そして同時にキーパーになるための特別トレーニングによるエネルギー消費の相乗効果により、最終的には見違えるほ痩せてかなりいい体つきになれた、というわけです。
いやホント、昔のアルバムに載ってる太ってた頃の私と痩せた頃の私を比較すると、まるで別人。
ダイエット系のサプリメントとかそれ系の宣伝ではよく同一人物の太ってる状態とやせてる状態の写真を並べて見せるたりするものですが、あの頃の私の変化はホントそんな感じ。
あまりの変わりようだったためか、運動会のエッセイでも語ったように、父親などはいまだに酒の席で昔私が太ってた頃の話を持ち出して『こいつは小学生の頃は太ってて運動会で壁上れない云々〜〜』などネタとしてしばしば出したりするほどでした。 多分、痩せてからは普通にいい感じの体格のためこれといったネタにならないので、太ってた頃のネタをほじくり返したいんでしょうな。 そして今のギャップとで楽しむと。
なお、私の親父は私がそんなキーパーになるための特別トレーニングをしていたというのは知らず、またタイミング的に柔道を始めた時期とキーパーのための特別メニューをさせられた時期がある程度重なっていたというのもあってか、彼はいまだに私が痩せれたのは柔道をやるようになったおかげだ思いこんでいるようです。 あんな遊びみたいな軽い練習内容でどう考えても痩せれるわけないのに…。
で、そんないい具合にやせて締まった体つきに慣れた私ですが、しかしながら、私自身は元々の運動神経がそれほど優れていたわけではなく、また気が弱いという性格で、ボールをけっこう怖がるタチがあった(キーパーは至近距離でボールを取る事が多いので怖い)ため、結局最終的にキーパーのレギュラーになることは出来なかったんですけどね。 また同級生達もシュート練習の時には、いたずら的にゴールを決めるより遊び気分で私自身を狙って蹴ってくる事が多く、それがよりボールに対する恐怖心を持つのに一役買っていたようです。
『ボールを怖がるキーパー』とかいわれたりもしてたんだよなあ。
あとどんくさいので練習試合で自殺点とかも多かったですね。 いや完全な自殺点ではないにしろ、取りこぼしたボールがゴールに決まったりとか、弾いたボールがそのままゴールに入ったりとか、そういうのがやたら多い。
なさけなや。
そんなこんなで、精神的にイマイチな上にキーパーの技術的にもあまり上手くいかなかったせいか、結局正式なキーパーになる事は出来ず、一年下の子が正キーパーになる事になりました。
またキーパー以外のポジションをするにも私はいささか選手として優れていなかったため、最終的には前述のように二軍(補欠)のディフェンダーに収まる事になりました。 痩せたといってもまたまだボールさばきなどの技術は相変わらず全然上手くなかったので、ぶっちゃけ体がでかくてぶつかり合いに強い程度しか特徴なかったんですよね。
一応、それでも痩せたおかげで太ってた頃に比べると相当動きは機敏になれた方なんですが、でも他の運動神経のいい連中に比べるとまだまだ鈍い方でしたし。
ちなみに町道場では痩せたおかげですっかり見違えたとはいえ、まだまだ気の弱い私をからかうためか、他の年下の道場生達からは入門初期の私のイメージから、私は最後までずっとデブゴンと呼ばれてました。 情けネェなあ…。
そんなこんなで、半遊び状態な小学校時代の町道場での柔道生活は終わる事になりました。
今にして思えば、気乗りせずやっていたということもあってか、小学校時代にやってた柔道生活なんて、ほとんどあってなかったようなものでした。
得たものといえば、柔道というものの存在と、そして柔道に関する基礎を知る事が出来た、という程度ですか。
それ以外は特に得るものはなかったですねえ。
技術的なもの、精神的なもの、本格的な練習などは全て、中学以降の柔道部生活にて得ましたし。
つまり言い換えるなら、私の本格的な柔道人生というのは、中学から始まったのだともいえます。